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 症例22・五十肩 new 1 (2020)
 <完治をめざす「五十肩」の治療>
あなたはどこまで治りたい?
昔は五十肩の患者さんが一番ストレスでした。同じ頃に開業した同級生も同じことを言っていました。最初に更新したのは2003年だったのですが、埼玉県の鍼灸師さんから「夜間痛を取る方法を教えてほしい」というメールをもらったことがあります。患者さんの苦痛の訴えが、あまりにもつらそうなのに、あまりにも「治りにくい」ので、治療師も一緒にうつになりそうになるのです。
治療をしすぎると痛みが増悪してしまいます。安静時痛と夜間痛を早く治すためには、浅い鍼とお灸でマイルドな治療をするしかありません。老化を受け入れ、組織の変性を残したままでも、痛みなく「使える」身体になるのが精一杯と思っていました。

でも、老化現象とあきらめずに、徹底的な治療をしてみたい・・・根っこから治して完治を目指してみたい・・・という気持ちが年々つのっていきました。
ちょうどいい患者さんが現れました。テニスのプレー中に右肩を傷めて、そのあと肩が動かせなくなり、そのまま五十肩になる可能性が大でした。「老化に負けたくない」気持ちの強い男性でしたので、痛みを恐れずハードな治療をつづけ、五十肩「寸前」で治すことができました。
13年前の五十肩の古傷を掘り起こして治した私自身の症例も紹介します。
他の症例と治療法
(旧ページ)
五十肩.・2 (2003) 老化現象をともなう肩関節周囲炎
五十肩.・3 (2010) 可動域の維持が重要
テニス中の激痛から腕が上げられない
2005年12月に脊柱管狭窄症で来院したAさん(当時59歳、男性)は、「なにか運動を」と3年半後(63歳)にテニススクールに入りました。身体のためにと半分惰性でやっていたテニスにハマったのが数年後です。3つのスクールに通い、いくつものサークルを掛け持ちしていたAさんは「若者のように動ける」ことが自慢でした。
2016年(70歳)、前日のテニスのとき「ボディのボールをよけながら打とうとしたら、ビキンと来て、腕が上げられなくなった」とのことでした。

前方挙上(屈曲)
前方挙上(屈曲)ができません。
手を前にして腕を上げていくと、途中で肩()に激痛がおこり、そこで止まってしまいます。
自力ではできませんが、私が持ち上げてあげると、なんとか上がります。
この角度(X)を通り抜けるとき、肩関節()がギシギシするらしく、痛そうな表情で身体が揺れます。
水平位を越えると、スイッと上げられます。

症例23「腕が上げられない・改」のように、単なる筋疲労なら、他力で動かすときには痛みはまったくありません。Aさんの場合は痛そうなので、器質的疾患です。
自力で持ち上げるときに痛むのは、筋肉が収縮して、付着部の故障部位を引っぱるからです。他力で上げられるのは、関節のほころびが小さいということです。
激痛の部位は肩関節の中央()です。大きな三角筋でおおわれていて、その下には腱板があります。
他の部位に波及する前に・・・
肩関節は可動域が広く、とても複雑にできています。腕から、首から、胸から、肩甲骨から、背中から、腰からと、いろいろな筋肉が肩関節に関係しています。
下の図で分かるように、たくさんの筋肉が連動していて、みんなで協力し合って、肩の複雑な運動を可能にしているのです。
(各筋肉についての詳細は、この先「肩の痛み」で解説する予定です)

後面 前面

筋肉は「縮む」ことで働きます。部位から部位をつないで、収縮することで身体を動かしています。人間の身体はどこかに不具合があると、そこを固めて治そうとします。筋肉のギブス化です。(全身の筋肉がギブス化したのが老人体形です)
壊れた部位につながっている筋肉は、硬直して患部を守ろうとします。硬くなる=縮むので、患部を引っぱってますます悪化します。筋肉が1本でも使えなくなると、共同運動をしている他の筋肉たちに次々に過負荷がかかっていきます。
50歳を過ぎると「五十肩」と呼ばれるのは、老化現象をともなうために治るのが遅いからです。肩関節の精巧さがあだになって、障害が肩関節全体に及んでしまうのです。
Aさんの状態は、言うなれば「急性」五十肩「寸前」です。障害部位が少ないうちに治療をし、根治できれば五十肩に移行しなくてすむはずです。
「急性」五十肩の治療
Aさんの希望もあって、痛みが出る覚悟で、徹底的にハードな治療をしようと話し合いました。Aさんの障害部位はどこなのでしょう?痛みが出る動作と部位を観察して、解剖学の本と相談しながら、障害部位を推測しました。
筋肉の使いすぎによる痛みなら、その筋肉だけを治療すればいいので簡単です。でも、五十肩は「外傷をきっかけに」という言葉通り、とっさの衝撃がきっかけです。事故のときは複合的にあちこちを壊してしまうので、患部を特定するのが難しくなります。
過負荷の連鎖反応の予防もしなければならないので、患部()を中心に、片っ端から鍼を打ちました。はじめは週2回の治療です。

①仰向けで、肩と腕を前面から・・・
②うつ伏せで、肩、肩甲骨と腕を裏側から・・・
③右上横向きで、肩と上腕を側面から・・・

筋肉に深く打って置鍼したあとは、患部()に透熱灸をしました。
外転

2回目(4日後)、少しは動くようになったものの、屈曲だけでなく、外転も水平位までしか上げられませんでした。他力ではなんとか上げられるので、可動域に問題はありません。
4回目(10日後)には痛みがかなり楽になりました。
7回目(3週間後)には、だいぶ上げられるようになりましたが「まだ引っかかる」とのことでした。

9回目(31日後)、手の平を下に向けると上げられるようになりました。手の平を上に向けると、引っかかって上がらず、下げるときに患部()に痛みが出るそうです。
自分でやってみると、手の平が上向きと下向きでは、使う筋肉が違います。そこを中心に治療をしました。
OK=手の平を下向き
=下げられるが痛み

10回目(35日後)、腕を上げるときに、「ギクッ、バッキ~ンとなるけれど、痛みは出ない。下げるときには痛みでブレーキがかかる」とのことでした。
私としてはもうちょっと休んでほしかったのですが、Aさんはそこでテニスを再開しました。
5週間後、テニスを再開
Aさんは痛みに耐えながら仕事をつづけていました。でも、テニスは別次元です。日常生活でもストレッチでも、まったく痛みが出なくなってから、そこではじめてスポーツの再開です。
「はじめての故障」を軽く考えるのは、アスリートの性とも言えます。途中でAさんは軽いテニスをしてみたり、素振りをしてみたりで、そのたびに少し悪化してしまいました。
日常とはレベルの違うハードな動きで、思いも寄らぬ過負荷がかかります。治りかけに無理をするとこじらせてしまう心配があります。他の部位を壊す危険もあります。かばって動くとフォームが崩れてしまうので、修正も大変です。
再開の目安はおおよそ90%の治癒率です。「休んで治す」時期から、「動いて治す」時期に移行するタイミングがやってきます。普段の動作にまったく支障がなくなってから再開するほうが、結果的には一番の早道になるのです。

11回目(40日後)の来院時には、テニスをやっても何の問題もなかったと報告してくれました。でも、テニスのあとは夜間に鈍痛が起こるそうです。ここから週に1回の治療に変えました。
完全に治るまではテーピングをするようにアドバイスをしましたが、Aさんは無関心でした。伸縮性のあるキネシオ・テープを筋肉の走行に沿って貼ると、筋肉の収縮を助けてくれます。負荷を減らし、動かすことで血流を促進し、筋力をつけながら治すことができるのです。私は必ずやるのですが、面倒くさがる患者さんは少なくありません。
「完治」まではやっぱり半年?
上図でお分かりのように、肩関節の構造は複雑です。体幹から肩へ。肩から腕へ。肘から手首や指先へ。多方向に伸びる筋肉が複雑にからみあっています。肘や手首の角度を変えただけでも、使う筋肉が異なります。
神様の設計図どおりに筋肉を使うこと=可動域を維持したまま治すことは、とても重要で、痛みが取れたあとの人生に大きな影響を及ぼします。
毎日1回は鏡の前で、左と同じ動きができるように、右肩の可動域を確かめるように話しました。Aさんはとても真面目にストレッチに取り組んでくれました。
痛みが取れたあと、Aさんに肩を動かしてもらうと、まるで肩が大騒ぎしているみたいに、パキパキ、ポキポキ、大合唱が聞こえてきます。それは数ヶ月もつづきますが、筋肉や腱に柔軟性がもどるにつれて、パキパキ音は減少していきます。

Aさんは五十肩になるのを免れられたでしょうか?毎日のようにテニスを楽しんめるようになったということは、5週間で「治った」とも言えます。でも、「サーブを打つときに怖い」という状態と、テニスのあとの夜間痛は、断続的とはいえ5ヶ月ぐらいつづきました。
「完治」までは半年ぐらいかかったということですが、発症の翌日から徹底的な治療をしたおかげで、深部まできれいに治すことができました。
私がテニスのサーブで五十肩になったとき
私は50歳のときに五十肩を経験しています。テニススクールに入って1年半後、力任せのサーブを打って肩に痛みが出ました。
簡単に治せるはずと思って、患者さんの置鍼中に、隣のベッドに腕をのせて、数本の鍼を打ちました。打った瞬間に、ズシ~ンとイヤな痛みが走り、そのまま痛みが居座ってしまいました。それまでなかった安静時痛がはじまったのです。
自分が五十肩になったと気づき、浅い鍼とカマヤミニだけで治療をすることにしました。日に数回のカマヤミニで安静時痛は数日でなくなり、次の週からテーピングをしてテニスを再開できました。当時のテニスは週に1回のスクールのみでした。

その後もカマヤミニを毎日つづけ、肩のまわりはお灸の痕だらけになりました。その年の夏はタンクトップを着られなかったのですが、翌年の夏にはすっかりきれいになりました。皮膚は内部を映す鏡です。中が悪いとお灸の痕が残るのですが、中が治れば消えてしまいます。
「痛みはないけれど、何かの拍子にギクッとくる」状態をはじめて体験しました。患者さんに言われてずっと謎だったのですが、なるほど!でした。
肩関節にはいくつもの筋肉の腱が付着しています。交叉している腱を越えるときに「ギクッ」となるのです。五十肩の治りかけに起こり、みなさん、数ヶ月は「ギクッ」がつづくのですが、半年ぐらいでなくなります。
一見「問題なし」になったのですが、肩関節のほころびがそのまま残っているのをなんとなく感じていました。
筋肉は壊れたあと増強される
40代の頃は、運動はおろか、歩くことすらしない日々でした。54歳でテニスにハマってクラブに入りましたが、テニス肘手首痛、そして植物状態寸前の母のリハビリと、ろくろくやれないまま2年が過ぎてしまいました。
コンスタントにテニスをやれるようになったのは56歳の頃でした。当時は筋力もなく、身体はまるでギブスをまとっているようでした。「やりつづければ動けるようになるはず」と信じて、週に数回、4時間、5時間とハードなテニスをするようになりました。

筋力に見合わぬテニスをしたので、故障のくり返しでした。家に帰ったら、まずお灸です。時間を見つけては鍼を打ちました。太ももを壊し、肩を壊し、腕を壊し、足を壊し、腰を痛め・・・と、私のブログにあるように、故障と治療の日々がつづきました。
筋肉が壊れると、治癒する過程でぐんと増強されるのだそうです。無茶なテニスで壊しては治し、壊しては治しをくり返し、何年もかかりましたが、目標とするテニスに見合うだけの筋力を身につけることができました。

故障部位は順調に減っていったのですが、右肩の不具合だけはずっと居座っていました。もう治ったかな?と思っても、やりすぎては痛め、サーブのフォームを変えては痛め、肩のテーピングをはずせる期間がほとんどありませんでした。
これは、10年前の五十肩のときのほころびが残ったままなのが原因なのではないか?と思うようになりました。老化現象とあきらめるのをやめて、古傷を根治できるのか試してみたい・・・という気持ちが日に日に強くなっていきました。
ストレッチで可動域の制限に気づく
2018年5月、肩関節の新しいストレッチを思いつきました。自分では肩の可動域は完璧と思っていたのですが、やってみたらぜんぜんダメなのです。(→2018/7/17
肩関節から上腕へと筋肉がつながっているのですが、上腕から肘を越える筋肉があり、肘の上から手首や指先につながっている筋肉があります。肘や手首の角度を変えただけで、ストレッチされる肩の筋肉が変わるのです。

枕に頭をのせて横向きになります。手の平を上に向けて360度方向に(小刻みに)腕を倒していきます。
手の平を下に向けると、違う角度で痛みが出ます。
肘の角度、手首の角度を変えると、また違う角度で痛みが出ます。
痛い角度を発見したら、10秒間激しい痛みに耐えます。また別の角度で10秒間と、「キラキラ星」だけで30分以上もかかったんですよ。
360度リョコちゃんストレッチに追加してあります)
#6 キラキラ星

キラキラ星をつづけるうちに、だんだん可動域が広がっていきました。筋肉バランスが変化するので、そのたびに右肩に新たな痛みが発生しました。
数ヶ月すると右肩がパキポキ音を立てるようになりました。音が出るのは、最悪から「まあまあ」に移行した証拠です。
半年ぐらいですいすいできるようになり、パキポキ音も次第に少なくなっていきました。
テーピングをすればテニスができたのですが、右肩の古傷は残ったままでした。
9ヶ月間、毎日肩に鍼を打ちつづけた
2019年の春、古傷を一掃する決心をして、毎日右肩に鍼を打つことにしました。ワインを片手にテレビの前に陣取って、テニスの試合や映画を見ながらです。
自分の身体は全体を見渡せないので、その日の気になる部位に数本です。当てずっぽうでも、毎日やればなんとかなるだろう・・・がんばったのです。

ストレッチでは、「キラキラ星」と入れ替るように、「アラーの神」で痛みが出るようになりました。
おふとんに這いつくばると、伸ばした両腕の付け根に強い痛みがおこるのです。
#19 アラーの神

テニスで痛む部位が変化していくので、その都度、鍼を打つ場所を変えました。入れ代わり立ち代りでおこる右肩痛にもかかわらず、テーピングをしてテニスをつづけていました。(→2019/4/10

4月には・・・
テーピングは基本的に3本です。
烏口突起→二頭筋(三角筋前部)
棘上筋→腱板→肩(三角筋中部)
肩甲骨外方→三頭筋(三角筋後部)
「アラーの神」でズキンと痛むのは、のあたりです。

ちょうどその頃、大学生のときに野球で右肩を痛めて、それ以来ボールが投げられなくなった患者さんがいました。私より1歳年上で、ゴルフにはまっているシングルプレーヤーです。他の部位がおおむね落ち着いたあと、「スイングするときに右肩に痛みが出る」とのことでしたので、私の肩と同時進行で古傷一掃作戦を開始しました。
患者さんがもう1人いると、治療法の開発ができます。彼も来院のたびに、違う動作で違う部位にと、痛みが移動しました。あれこれ話し合いながらいろんな治療を試しました。右肩が一段落したあと、彼の肩からパキポキ音の大合唱が聞こえるようになりました。「笑っちゃいますよね」と恥ずかしそうでしたが、ほぐれていく過程なのです。
彼は「アラーの神」で痛みが出ないので、古傷の部位が私とは違うようでした。

6月には・・・
サーブを打つ筋肉
=鍼を磨くとき使う
サーブの打ちすぎで、こんどは伸筋()に痛みが出ました。

仕事も家事も、右腕には休む時間がありません。
すべてに鍼を打つ

右腕を酷使しつづけたために、腕全体がダメになりました。(→2019/6/29
何年もサーブに取り組んできて、いろんな打ち方を試しました。「正しいフォームは身体にいい」が持論です。伸筋()を使う打ち方だけが、痛みなくサーブを打てるラインです。他の筋肉を痛めたおかげで、腕の振りが安定しはじめました。
古傷を掘り返しているので、痛みが出るのは覚悟の上でしたが、だんだんテニスにも支障が出るようになりました。

8月には・・・
温泉に入っているときに、ビシッ!と肩に電撃が走り、わきの下に、岩のような塊()があるのを発見しました。それをほぐしたら、また別の塊()があらわれました。(→2019/8/17
塊からつながる筋肉()もコチンコチンに硬くなっていて、高いボールの処理が難しくなったので、ここにもテーピングを追加しました。

強打を教わったのが原因らしいです。たった1時間ほどでしたが、ガンガン打ちつづけたあと、右肩はまるでヒビの入ったガラスのように脆くなってしまいました。
自分が打つだけでなく、強打を受けると壊れそうになってしまうのです。それでも治療をあきらめず、テニスもあきらめずに突進しつづけました。

10月には・・・
肩を開くショット(スライス)が打てなくなりました。

痛みの部位が狭まっていったので、烏口突起()から二頭筋にかけて鍼を置鍼しました。抜いたあと腕を伸ばしたら、肘でパキン、手首でパキンと音をたて、一気にほぐれてくれました。
恐怖心をこらえて、肩をこじあけるように広げて打ったら、強打に耐えられるようになりました。(→2019/10/25

烏口突起と別のラインなのに、ここの硬直は残ったままでした。
Aさんの障害部位もここでしたし、私が肩を痛めるたびに一番手こずった部位でした。

古傷治療の開始から9ヶ月たちました。テーピングなしでもなんとかテニスができる日もあったのですが、まだ右肩はギシギシした感じです。「アラーの神」では相変わらず痛みが出ます。13年前の古傷はほんとうにやっかいでしたが、ここでいきなり大きな転機がやってきました。
年末、酔っ払っての帰宅の途中、自転車の左ペダルが車止めに激突しました。私は突っ立ったままで、自転車が倒れました。ずっとバイクに乗ってきたので、反射的にハンドルを押さえ込んだらしく、腕と胸で衝撃を吸収したのです。(→2019/12/29
じっとしていてもズンズン痛むし、ちょっとの身動きでも激痛が走りました。腕を下げての動作には問題がなかったので、仕事と家事は普通にこなしました。安静にすると固まってしまい、可動域が狭くなります。肺活量と関連があるので、胸郭の柔軟性の維持は大切です。ストレッチも休まずつづけました。
思わぬ事故のときは、身体のあちこち、とんでもない遠方まで同時に傷めてしまいます。とくに肋骨の上半分+上肢()に痛みが集中していました。(→2020/1/9

鎖骨(問題なし)
胸骨 (背骨と共に)鳥かご状に胸郭を形成
肋軟骨
肋骨
壊れたのは胸骨()の中央()でした。

胸骨には肋軟骨()を介して、肋骨()がつながって、鳥かごのようになって肺を囲んで守っています。
強い圧がかかると、鳥かごがひしゃげてしまうので、痛みが全体()に拡散していました。

(→「症例49・ぎっくり肋間筋」と「症例50・肋軟骨の障害」を参照してください)

ハンドルを押さえ込んだために、胸や肩や腕の筋肉にも過負荷がかかってしまいました。左ペダルが激突したので、とくに左の肩とわきの下に強い痛みがありました。大胸筋()の付着部()を中心に、腕の治療もしました。
肋骨の下には肺があるので、鍼は避けて、灸点紙を敷いての透熱灸を毎日つづけました。圧痛点が広範囲()にわたるので、何時間もかけて、手当たり次第にお灸をしました。
大胸筋の治療で古傷が「完治」した
痛みが限局されていくにつれ、お灸の部位はだんだん減っていきました。4週間後には、痛みが胸骨の中央()に集約されました。(→2020/1/22
両方の大胸筋を同時に使うと、患部に痛みが出ることがわかりました。
大胸筋の働きは・・・
① 重いものを持ち上げる (=肩関節の前方挙上) 
② 後に手をついて、両手で身体を持ち上げる (=肩関節の内旋) 
③ 両手をギュッと内側に寄せる (=肩関節の内転)

①両手で重量挙げ
(前方挙上)
②両手でお尻を上げる
(内旋)
③硬い缶の蓋を閉める
(内転)

事故のあとすぐは左肩のほうが痛みが激しかったのですが、左肩の痛みが先に消えて、右肩だけが痛むようになりました。(→2020/1/31

④ドアをスライドさせる
(内転)
④右手で重い扉を動かす(内転)

車のスライドドアと治療室の鉄のフェンスを動かそうとするとき、怖くて力が入れられませんでした。右の大胸筋に大きな負荷がかかる動作で痛みが出たのです。

これはスライスを打つときの動作と同じです。10月ぐらいから、肩の痛みでスライスが打てなくなっていたのは、大胸筋の付着部に古傷があったせいだと気づきました。

5週間で胸骨の痛みは消えてくれたのですが、右の大胸筋()の上腕骨への付着部()の痛みが最後まで残りました。

大胸筋
  上腕骨への付着部
  胸骨への付着部
メインの患部は胸骨中央
小胸筋は烏口突起へ)

「あとから治ったところが、最初に悪くなったところ」です。1年近くかかってしまいましたが、事故のおかげで、13年前の五十肩の古傷の根っこ()を発見できました。「アラーの神」での痛みもなくなりました。
用心のためにもう1週間お休みをして、6週間後にテニスを再開しました。スライスも平気で打てるようになり、サーブにもまったく問題がありません。私のテニスの歴史上はじめて、テーピングなしでプレーができるようになりました。

今年4月5月はコロナ自粛でクラブがお休みでした。2ヶ月ぶりのテニスのとき、サーブを打とうとしたら右肩が痛くてラケットを振れません。『動かして治すしかない』と、痛みをこらえて打ちつづけました。50球ぐらい打つと肩が慣れて痛みが消えます。この状態を数回くり返した後は、いきなりサーブを打っても大丈夫な肩になりました。
サーブを打つときは、日常動作では必要のない細かい筋肉まで使うのでしょう。これ以上は鍼でもストレッチでも追いつきません。動かしてほぐすしかないのです。
私の五十肩はついに「完治」し、約1年後の現在もいたって健全です。
補足:テニスと大胸筋
同時進行で右肩の古傷治療をした患者さんは、野球のピッチングで痛めた古傷のせいで、ゴルフのスイングで問題が起こりました。テニスのサーブやスマッシュで痛める部位と違うのは当然ですね。
関節にほころびがあると、つながっている筋肉が患部を守ろうとして硬くなります。自由に動けないので、疲労が重なって力なく縮んでしまいます。もしも、私の大胸筋が健全だったら、柔軟な筋肉で衝撃を吸収できたかもしれず、胸骨を壊すこともなかったかもしれません。
すべてが治ったあとで、やっと自分の肩の痛みのストーリーが解明されました。ここからは、私のテニスと右肩痛の歴史です。

① 10年以上前、はじめて肩を痛めたとき
初心者にありがちな失敗は、「ガオ~!」と力んで、上腕ニ頭筋()や大胸筋()などの屈筋を使ってサーブやスマッシュを打つことです。
スマッシュ練習をしていて、コーチに「みづさん、そんな打ち方をすると肩を痛めますよ」と予言されました。
五十肩と思って無理な治療を避け、ほころび()を残したまま、痛みを眠らせてしまいました。

上腕ニ頭筋()は力こぶを作る筋肉です。大胸筋()もボディビルダーが胸をピクピク動かして自慢するときの筋肉です。どちらも強力な筋肉なので、力任せに打とうとするときに酷使してしまうのです。

上腕ニ頭筋 大胸筋と重ねると・・・
長頭関節上結節へ (肩甲骨)
短頭烏口突起へ
上腕骨へ
胸骨へ

中上級者は棘上筋(=腱板)を痛めることが多いのですが、その結果、これら()の筋肉を使うサーブしか打てなくなったベテランをよく見かけます。
(棘上筋の障害は、別の機会に紹介する予定です)

② 7年前、自己流スライスで肩を痛めた
2012年初頭に手首を痛め、ラケットを下から上に振り上げられなくなりました。上から下へは振れたので、自己流でスライスの練習をしました。手首が治ったのと入れ替るように、右肩()の痛みがはじまりました。
数年後、ニキシマのコーチに、「肩を開いて打つと傷めるんですよ」と言われ、肩を閉じてスライスを打ってしのいできました。

③ 5年前、サーブのバイエル10番で古傷を知る
2015年スライスサーブのフォームの構築を「バイエル1番」からはじめることにしました。立ったまま、腕だけでスライス回転をかけるのが、「10番」でした。右肩に病めるような不快な痛みがはじまって、古傷()があることに気づきました。なのですぐに次のステップ、伸筋で打つサーブに取り組みました。

④ 去年の春、右肩の古傷一掃作戦を開始
肩の古傷を掘り起こして治そうと、毎日肩に鍼を打つことにしました。筋肉バランスが変わるので、痛みの部位も変化して、あっちやこっちへ移動していきました。右肩の状態は一進一退で、いつ終わるとも知れない試練がはじまりました。

⑤ 去年の夏、バックハンドの強打で左肩も痛めた
フォアが打てないときに、バックハンドで強打しているうちに、左肩の同じ部位に痛みがでました。力任せのストロークは大胸筋を酷使するのですね。力まずに回転をかけるようにしたら、左肩のほうはみるみる沈静化していきました。しばらくの間、両肩のテーピングが必要でした。

⑥ 去年の秋、右肩が脆くなり、スライスが打てなくなった
フォアの強打を練習したら、右肩はガラスのように脆くなり、強打を打つのも受けるのもできなくなりました。女子のボールなら相手ができたのですが、スライスがまったく打てなくなりました。

⑦ 去年の暮れの事故、最後に残った痛みが大胸筋
事故で胸郭と上肢を痛め、その治療をつづけていったら、最後に残ったところが右の大胸筋でした。「あとから悪くなったところから、先に治る」の通りです。大胸筋への透熱灸をくり返した結果、元凶()を一掃することができました。

筋力ゼロでテニスをはじめ、力任せのサーブで大胸筋を痛めてしまいました。ちゃんと治すことをあきらめて、「ほころび」を残したまま、痛みを眠らせてしまいました。日常生活にはそれで充分なのですが、下克上のテニスには無理があります。故障と治療のくり返しでしたが、筋力がアップするごとに、テニスのレベルもアップしていきました。
強打を打とうとするときには、どうしても大胸筋の力が必要です。ただ「打つ」だけでなく、ボールに回転を与えるときに、ブレーキの役割もしています。

ラケットを振りだす 腕を止める 手首が固定され ラケットヘッドが走る 回転量が増える

去年の夏に、フォアのスピン量を増そうとがんばったせいで、ブレーキ役の大胸筋に負荷がかかって、古傷()がバクハツしたのでした。
サーブもスマッシュも伸筋を使うのが正道です。身体全体を下から上に、ピーンと伸びた状態でインパクトできると、非力でもバシンと威力あるボールが打てます。全身の運動連鎖なのでとても難しいのですが、古傷()のせいで、トライするしかありませんでした。おかげで(結果的に)スライス・サーブのバイエルを卒業できました。
今では肩を開いてのスライスが打てますし、強打を目指すテニスができるようになりました。人間は失敗からより多くを学べる・・・と自分を励ましています。
2ページ目へつづく
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Updated: 2020/12/16